Meet to Art in鹿島神宮 鯰絵の募集要綱

令和4年度の「Meet to Art」で鹿島神宮の風景絵画の展示と鹿嶋市のアート写真の展示を行いました。
令和5年度は、「鯰絵」をテーマにした絵画を募集いたします。
以下の募集要項に従い、作成協力をお願いいたします。

1 主催者 まちづくり鹿嶋株式会社

2 応募締切
令和5年9月11日(月)までに各学校で最大40作品以内にまとめて、応募先(まちづくり鹿嶋)まで電話連絡下さい。作品回収日を決めて、こちらから伺います。

3 応募規定
(1)対象 鹿嶋市内在住、在学の小学校4年生以上、高校3年生まで
(2)テーマ 現代世相(せそう)の鯰絵
(3)用紙 A4版サイズの画用紙で縦横使い可能(用紙の裏面に氏名・学校名・学年を記入)
(4)材料 えんぴつ、水彩、クレヨン、ペン等自由

4 作品の取り扱い
(1)応募作品は、令和5年10月13日(金)から10月21日(土)に予定する『Meet to Art in 鹿島神宮」のアートギャラリーで展示後、原則返却いたします。
(2)優秀賞に選ばれた作品は、作者に許可をとり、市内施設や店舗にイベント後展示します。

5 応募先
まちづくり鹿嶋株式会社(担当 済藤哲仁)
電話番号:0299−77−8840
E-MAIL:ma-kashima@sopia.or.jp

6 鯰絵と要石について(参照サイト
江戸時代に恐れられた災害は、地震・雷・火事・おやじとあるように、地震が一番でした。1855年10月の「安政の大地震」で江戸は大きな被害を受けました。この直後から、地震を引き起こすと信じられていた大鯰を描いた「鯰絵」と呼ばれる版画が江戸中に多く出回りました。それらはさまざまな地震後の世相(世の中の状況)を風刺(遠回しに批評)したものでもありました。

①鹿嶋要石真図
要石は、鹿島大明神が地下の鯰を押さえ込んでいる姿を表すものです。鹿島神宮境内の「大鯰の碑」はこの図柄を参照したものと思われます。

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②あんしん要石
地震守護を願って大鯰を押さえている要石に祈る絵柄です。

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③鹿島大明神地震御守 
江戸の地震をおこした鯰が鹿島明神に剣でおさえられ、その前で日本各地で地震をおこした鯰があやまっている鯰絵です。

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④要石 あら嬉し大安日にゆり直す 
要石で大鯰は押さえ込まれ、各地の鯰は詫びを入れ、地震のない日々に戻ったと喜んでいます。

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⑤ 鹿島太神宮と要石と大鯰と人々 
鹿島大明神の威光を受けて要石に扮した役者が地震を起こした大鯰を押さえつけています。鯰を取り囲んで、大地震で被害を蒙った者(注A)が、手に手に得物を持って鯰を懲らしめています。一方、少し離れた左上には、地震の復興景気で儲けた者(注B)が手を出さずに控えて、小さめに描かれています。
注A(地震の被害者) 親-子の恨み、子供-親のかたき、女房-夫のかたき、地主、坊主、座頭、武士、芸人など
注B(地震で儲けた者) 土方、吉原-女郎、金物屋、材木屋、かや葺屋根、大工、左官、屋根屋、名倉(接骨医)など

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⑥ 鯰と鹿島大明神の首引
地震で儲けた建築工事関連の職人などを後ろ楯にした鯰と鹿島大明神の首引きを絵にしています。

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⑦ 鯰を押える鹿島大明神
地震を引き起こすとされる大鯰が鹿島大明神に押さえつけられている絵ですが、添字には、復興景気で儲かる職人のたちの地震歓迎の文言もあります。

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鯰絵出典
①②④⑥⑦:国際日本文化研究センター「鯰絵コレクション」
③:IPA「教育用画像素材集サイト」
⑤:消防防災博物館-錦絵に見る安政大地震《国公立所蔵資料刊行会編集(誠文図書発行)安政大地震鯰繪より》

『古伝によればその昔、鹿島神宮の武甕槌(タケミカヅチ)神、香取神宮の経津主(フツヌシ)神の二柱の大神は、天照大神の大命を受け、芦原の中つ国を平定し、常陸・下総付近に至った。しかし、この地方は、なおただよえる国であり、地震が頻発し、人々はいたく恐れていた。
これは地中に大きな鯰魚(なまず)が住みつき、荒れさわいでいるせいだと言われていた。大神たちは、地中に深く石棒をさし込み、鯰魚(なまず)の頭尾を押さえ地震を鎮めたと伝わっている。(その石棒が要石と呼ばれる)
鹿島神宮の要石は凹形、香取神宮の要石は凸形で地上に一部だけをあらわし、深さ幾十尺とされている。貞享元年(1664)三月、徳川光圀公が当宮に参拝の折、これを掘らせたが根元を見ることが出来なかったと伝わる。』

鹿島神宮の要石の説明には、要石は大神の御座、磐座(いわくら)とも伝えられる霊石とも記されています。
鹿島神宮の要石は大鯰の頭、香取神宮の要石は尾を押さえているとか、両者の石は地中で繋がっているとも言われています。ただ、記紀には要石の記載はなく、要石が一般に広く知られるようになったのは、安政の大地震(1855)で「鯰絵」が大量に出回った頃だと思われます。